​キリストへの時間9月11日に放送された吉田先生のメッセージ

2022年9月11日 詩編104編1-5節 「ここも神が治める世界」 
 皆さまこんにちは。吉田崇と申します。静岡県富士市にある吉原富士見教会で牧師を務めております。さて9月11日といえば、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件を思い起こす方もおられることでしょう。ニューヨークの超高層ビルにテロリストに乗っ取られた航空機がぶつかり、大変な死傷者を出してしまった衝撃的な事件でした。 その1年後、ニューヨークで犠牲者を追悼する式典が開催されました。そこで演奏された曲の一つが、讃美歌21の361番に収められている曲、「この世はみな神の世界」であったそうです。人が大変につらい出来事、悲惨な出来事に見舞われてしまうと、往々にして「神がいるならどうして地上にこんなひどいことが起こってしまうのか。神も仏もあるものか」という反応が出てきます。それに対して讃美歌21の361番は「それでもなおこの地上も神様が治める世界である」と歌うのです。

 聖書によると、この世界は天の父なる神様がよいものとして創造してくださったものです。そして命あるものは皆、愛と平和のうちに生きてゆくことを望んでおられました。けれども神様に創造されたもののうち人間だけが神様に逆らう罪の力、悪の力に捕えられ、神様に逆らって生きるようになってしまいました。それによって、神様が治めるこの地上につらい出来事、悲惨な出来事が起きるようになってしまったのだと説明します。ただこの世界を治める神様は、こうした悲惨な事態に対して手をこまねくばかりで何もできないのではありません。最終的には罪の力、悪の力を打ち破り「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも苦労もない」世界を実現してくださると約束くださるのです。

 こうした神様のみ心を実現させるために、神様は愛するひとり子イエス・キリストをこの世界に送ってくださいました。このキリストは何の罪も犯されなかったのに十字架に貼り付けにされ殺されてしまいます。イエス様も「私の神よ、私の神よ、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばずにいられませんでした。そこだけを見れば、神様はイエス様を送っても地上では何もできなかったのかと見えるかもしれません。しかしイエス様の十字架の死においてこそ、神様は神様に逆らう罪や悪を打ち砕くというみ心を実現させる救いの業をなさったのでした。神様は十字架で一度(ひとたび)死なれたイエス様を死者の中から復活させることを通して、罪や悪、そして人の死に勝利されたことを表されたのです。
 イエス様の福音を聞いてイエス様を救い主キリストと受け入れる人は、罪と悪から解放されるキリストの救いをいただき、一人、また一人と天の父なる神様のみ心に従う者とされるのです。
 讃美歌21の361番はアメリカで作られた讃美歌を翻訳したものです。元々の歌詞にはこういう一節があります。「ここは私の父の世界、戦いはなくなる。十字架に死なれたイエスのみ心は成就して、天と地はついに一つとなる。」イエス様の十字架によって、地上においても、父なる神様のお住まいである天と全く同じように神の御心が十分に実現するようになる。もはや死はなく、悲しみも嘆きも苦労もない世界、愛と平和に満ちた世界が実現する。その実現を天の父なる神様に祈り求めてまいりましょう。